創作よりも大学受験の勉強の方が熱中できる

数値化して大学受験の勉強に80〜100脳みそを使うとして、多分創作に熱中できるタイプの人間は他人の書いた本に脳みそを100使ったり、120使って創作活動に打ち込めるんだと思う。

しかし俺は本を読むときもそうだが、創作をしているときもせいぜい30くらいしか脳みそを使っていない気がする(これは俺の書いた小説とかを読んでもらえば分かると思う。言い訳じみている)

これは単純に創作物をバカにしているから起こる現象なのだろう。脳死で楽しめる俺TUEEもの(こういったタイプの創作物も俺が気づいていないだけでかなり考えられてつくられているのだろう)で創作の役割は充分と思っている部分もあるし、小説や映画という存在が心から好きではないのもあるかもしれない。

たとえば俺が高校生のころ(2014年)、魔法科高校の劣等生というアニメがやっていた。当時このアニメは周囲からバカにされており、「さすおに」(主人公の「おにいさま」を周囲の人間が「さすがだ」と礼賛するシーンが随所に見られる)はこのアニメの代名詞となった。思い出補正もかなりあるのだろうが、2014年当時は「さすおに」は他のアニメと比べて幼稚だという認識が多くの人にあったのだろうし、自分もそう思っていた。「凪のあすから」や「PSYCHO-PASS」はバカにされる「さすおに」と違って多くの支持を得ていた(少なくとも俺のいた高校では)。

しかし今現在、過去に縛られ続けた俺の感性から見ると「さすおに」以上に考えられて作られたアニメにはなかなか出会えないし、たまに読んでいる小説や映画も心からおもしろいと思えるものは滅多に見ない。自分で創作をしようとしても(これは俺の能力の問題だろうが)複雑なことは考えられない。

対して最近ちょくちょく大学受験の勉強をしているのだが、これは英語のフレーズを暗記しているときもそうだし、数学の因数分解をしているときもそうだが、かなり脳に負荷をかけ、その分の充実感を得ることができる。

大学を中退して6年が経ち、今更大学受験について考えているのは客観的に見ておろかな行動だというのはわかっているつもりだが、脳をほとんど使わない、だれにでもできるようなバイトに日々を費やして、脳死でしかできない創作活動をしていると人生がつまらないものに思えてくるのも事実だ。それならもう一度再挑戦をしてもいいのではないか。自分が中退した大学、もしくはそれ以上の大学に入って卒業までできればこのコンプレックスを解消できるのではないか。そんな思いとともに、今日も参考書を開くのだった(ごめん嘘ついた。勉強はめんどくさいのでアニメ見る)(え?)